強い人工知能の「人工意識」は存在しない

 ここ最近において、科学技術で最も話題になってかつ将来性が期待されているものとして、
人工知能=AIが筆頭に上げられます。
なにしろ、一昔前までは人工知能の研究や進歩が行き詰っているようでしたがここ数年で
驚くほど急速に発展していて、自動運転から自動検索、画像顔音声認識、さらには自動作曲や文章作成まで社会において幅広く活躍している
という現状があるものです。
今ではAI将棋囲碁のプロとの勝負や東大入試問題の解答などもできたりしているほどで、これからも人間の仕事の大部分が失われるかもしれないほど大幅に発達する可能性はありそうです。
・・・とここまでAI技術の肯定論楽観論の話ですが。

 

 一方で、AI技術がさらにもっと進むと、あらゆる面で人間の知能を超える「強いAI」が実現できるようになるという予測や説も広がっています。
いわゆる技術的特異点の一つとも言われています。
さらに、「強いAI」が実現されたら、それには人間と同じような心や意識を持つのではないかと考える人も多くいるようです。
しかし、ここで問題となるのは、ここでいう強いAIを動かすハードウェアがどのようなものなのか、また意識自体の存在に関して物理主義唯物論か二元論(現在では性質二元論が主流)を支持するかで強いAI、つまり人工意識が存在し得るのかというものです。

強いAI論についての詳細はこちら

 

 ここで、強いAI論が正しいとすれば、人工の機械の動作自体によって意識がそのまま生じることになります。
当然、これは物から心が生じるので、強いAI論は二元論でなく唯物論を前提にすることは必須です。
また仮に唯物論が正しいとしても、人工意識が存在するためのハードウェアの構造の条件もあります。
現在のほとんどのコンピュータはチューリングマシンに基づいていますが、チューリングマシンにも人工意識が生成可能だとすれば、ゼンマイと歯車でできた機械式計算機や電流の代わりに気体・液体を使った流体素子計算機からでも人工意識が存在できることになります。
こうなると、人間と同じような心や意識、クオリア自体が純粋な物体の運動力学作用のみに還元するという、滑稽奇天烈な論理になってしまいます。
実はこうした滑稽な意識再現と同じものがが中国脳という思考実験でも行われています。
そして、これと似たような思考実験がサール氏による「中国語の部屋」があり、これによると、CPUに相当する部屋の中の人は中国語で外部とやりとりしても中国語の単語や文章を全く理解できていないことから、サール氏はコンピュータには意識は生じえないと結論付けています。

中国語の部屋こちら
中国脳はこちら

 

 以上のことから、個人的な考えでは、チューリングマシンに基づいた強いAI論、人工意識は存在できないということに至ります。
これとは別の観点で、チューリングマシンを考える以前に、形式的論理・言語や記号プログラムに還元可能な人工機械からは意識は生じえないと思っています。
現在でも意識やクオリア自体が正体が全く不明で神秘的なものであり、かつ言語や形式的論理で表現記述不可能なものである以上、言語や形式的論理のみで表現可能な人工機械からそれらが生じるとは思えないからです。

 

もし人工意識が原理的に存在可能といえるようになるためには、最低でもハードウェア自体が形式的論理や記号操作を超えたものである必要があります。
例えば人間の生身の神経細胞と同じような、生体分子レベルの作用に基づいた人工細胞から構成された人工脳のようなものになるでしょう。
もちろん、現代の科学からして、そういったハードウェアの実用可能性自体は全くの未知数なのが現状のようです。
したがって、人工意識が実現できる可能性は非常に低いという結論になります。

こうした考えでいくと、人工知能にも権利だの著作権だのといったこと自体は考える必要もないことになりますね。