科学の限界と科学主義について

「科学」とは、いったい何なのでしょうか? 
いろいろな答えがあるようですが、一般的に代表なのが、「世界や自然物の構造や性質について、探求すること」がそうだと言えるでしょう。
つまり、科学はその目的性からして、客観性を重視する一面があります。
それは別の見方でいくと、科学は客観的な内容のみ扱えて、一方で主観的な内容は扱えないということになります。
ネット上などでは科学自体についての議論で、よく科学万能主義が取り上げられます。
それで、科学主義批判派は科学もしょせん主観性から成り立っててみな相対的なものにすぎないと主張して、
科学擁護派は科学は客観性第一だから世界の全て内容を解明する唯一の学問だと主張する。
このような状況について、、こちらから言わせてもらうとすれば、科学は原則客観的な内容しか扱えず、それゆえに不完全だという前提を
どちらもあまり意識していないところに問題があるということです。

先ほど述べたように科学は良くも悪くも客観性専門で、主観的な事物はほとんど扱えないことがあり、
その点で科学は世界の一面しか解明できず、全て解明できる万能なものではありません。
ということは、科学擁護派も批判派もこうした科学の本質をよく理解せず、万能性どうこうでこだわっている点で同じムジナの穴にはまっていることになります。

このことから、科学擁護派は科学は主観的世界まで扱えず、真理を解明するものとしては不完全なものだと認めて、批判派は科学は人間が生み出したもので、科学体系に人間の主観が影響するとしても、
完全に主観的で相対的なものでなく、客観性を重視するものだと認めるしかないということになります。

話は変わって、哲学界では、人間は物事の真実は完全に認識するのは困難で、ほとんどの場合真実の一部分しか知りえないということも言われています。
このことから、科学についても同じく世界の真実について体系的に完全に示していなくて、そのごく一部分しか明らかにされてないということです。
つまり、科学は時代の流れで、真実を少しずつ部分的に解明して、いくつかのパラダイム変換を経て現在の体系に至るということであり、
今後も検証の積み重ねなどで、一つの真実を近似的に徐々に明らかにしていく必要があるということです。
それなのに、科学主義派は科学で得られた知識は絶対的なものだという妄想にとらわれ続けているのが現状です。
科学だろうが何だろうが人間は世界を完全に知りえないという事実を素直に受け止めることは必須になりますね。
人間と、それを取り巻く世界の内容やそれらとの関係を様々な視点から明らかにするために、科学だけでなく、哲学をはじめ、様々な人文学や社会科学が発展しているはずですが、
科学主義派の中には科学ばかり重視しすぎて他の学問を軽視して、世界や人間を解明しようとしているから、科学の限界という問題にぶつかって行き詰ってしまっているとも言えるようです。

結論としてまとめると、今後人間を含めた世界全体の真実をより解明して、より豊かな文明社会を築いていくためには、
科学と人文社会学を上手に調和できる学問体系を築くことが重要だということですね。