科学のあり方と相対主義と実在論について(1)

前記事では相対主義的な科学の問題について扱ったが、そこには、真実は一つとして実在するのかについてテーマとした相対主義実在論の相反する二つの立場が大きく関わっているようです。

前記事で取り上げた相対主義は自然法則などのあらゆる真実は一つに定まるものではなく、人間個人ごと、あるいは集団ごとによって多数の異なる真実が生じる考えのことです。

それに対して実在論は本来は人間の思考・認識から独立して多くの事物が存在する考えのことですが、相対主義に対しては、そこから派生して現実世界の真実は人間の思考に関わらず一つとして存在するということを主張します。実際には実在論もかなりの種類がありますが、それについては別の記事で述べていきます。

現代科学界においては当然のことながら圧倒的に実在論的立場が支持されています。しかし一方で、科学も相対主義にすべきだと主張する人々も特に人文系学界でそれなりに存在します。

ここで、相対主義についてより深く掘り下げていきます。

相対主義には道徳的相対主義、審美的相対主義、文化的相対主義、認識的相対主義など多くの分野がありますが、科学に関しては、認識的相対主義に限定して取り扱っています。これは物事の真偽やついての相対主義で、先ほど説明した真実の唯一性にも関わります。

さて、ここで認識的相対主義が科学分野で問題とされる理由についての考察です。科学の本来のあり方が、自然界の本質や真実について客観的に探求・解明していくこととする見方が長い間主流でした。これにより、多くの科学者にとっては真実が一つのものとする実在論と相性が良く、真実は人により異なるとする相対主義と相性が良くないものとされるようです。

それが最近になって、所謂ポストモダンが流行するのに伴い、科学とは「人間社会により理論体系が主観的に構築されたもの」とする相対主義的な見方も出てきました。特に人文社会系分野ではこの相対主義も広まるようになりました。これは伝統的な科学のあり方や実在論と相反するものに近く、多くの科学者がその相対主義を問題視して対立するようになりました。

ここまで来ると、もはや科学の本当の目的とは何かという哲学的なところから揺らいでしまうことになってしまいます。まあそれが現代科学哲学における課題の一つでもあり、それについて議論するのもいいかもしれません。ただここで個人的な見解を述べるとすれば、科学は量子力学などの観点から、主観性や人間的な要素を認めるものの、思考法としてはやはり実在論を前提としていくというあり方が将来の科学にとって最良のものとなるのだと考えております。

 

かなり長くなってしまいましたので、これ以降の話は次記事で説明していきます。

「自然法則も人間が作った?」という主張

前回の記事からかなりブランクが空いてしまったけれども、ここ最近は哲学(特に人間や世界の存在について)にぼちぼち関心を持つようになったりしています。

 

哲学というものは全ての学問の根底であるものだと個人的に思っています。

一方で、最も絶対的な学問は科学だと主張している人もいますが、その科学も、学問、体系としてどうあるべきかを探求する科学哲学というのがありますので、その点で哲学は科学に先立つものだと言えるでしょう。

 

さて、ここで本題に入りますが、自然科学における自然・物理法則は自然界や宇宙世界全体に存在しているというのは言うまでもない常識ですね。

だがしかし、現実社会は本当に広いもので、「自然法則も人間の思考の産物だ」と突飛なことを主張する哲学者や知識人たちも実際に存在します。

こうした考えを「科学的相対主義」と言うようですが、これによればニュートンの力学的法則や電磁気学の各種法則、相対性理論なども自然界に存在せず人間が作り出したものとされるようです。まあ個人的なレベルであればこうした主張があってもあまり問題にならないでしょう。

だがそれもしかし、その考えもなんと文部省が提唱する小学校学習指導要領に書かれていたようです。これは大変驚きました。最も1998年とかなり前の話になりますが。

wikipedia構成主義 (教育)#構成主義と科学教育」参照

構成主義 (教育) - Wikipedia

 

国や公共レベルでこんな極端な相対主義を学校教育に取り入れたのが本当だとしたら、もはやこれは論外レベルの問題だとしか言いようがないでしょう。

こうなってしまうと「○○の法則も✖✖の法則もみな人間が考えて作ったものなんだ」と純粋な子供たちが本気でこう考えてしまう危険性もあって、結果的に現世代の青少年が理科離れどころか狂った科学観を持ってしまうんだろうな・・・と恐ろしく想像してしまったりしています。

 

・・・とまあ、このことから思ったことは、科学哲学というのが科学そのものよりいかに重要なものとして考えていくべきなのだろうかということです。科学は観測者などによる主観的要素もあるものの、客観性を追求するものです。もし主観性を重視したいのであれば、それは科学よりも哲学や人文社会学などの他の学問で扱うべきだと自分は思っています。

 

p.s.) ちなみに中学校学習指導要領の理科においては、法則や原理を人間による発見だ と前提にした内容となっています。つまり、小学校と中学校とで根本的レベルで指導要領の方向性が相反してしまっているので、内容云々以前の問題とも言えるでしょう。

最近よく見られる「エセ常識、トンデモ常識」

新年あけましておめでとうございます。
・・・といっても12日になってますけどね。

ということで、昨年から引き続き気になるネタを投入していきます。

 

今回は意外と身近なところに蔓延しているエセ常識について。

 まず、エセ常識人とは、俗世間の風潮や流行などに振り回されて、ある間違った慣習
などの内容が正しいと信じ込み、それらを疑うのはトンデモだと決め付ける人のことです。
そこで、エセ常識とは→上述の人が持っている傾向がある思想・考え・見解
ということで、最近の主なエセ常識をリストアップして、簡単にまとめあげていきます。


・仕事中でも積極的に他社員との雑談をするほうがいい
→これは一部の限られた職種のみ、多くの場合はこんな余計なことをしたら集中力散漫で
 非効率になります。特に作業系や現場系の仕事では危険性も高くなってしまいます。
 限られたケースだけで全てに当てはまるとは限らないということでしょうか。

・反抗期は誰もが必ず経験すべし、経験しなかった若者はダメ人間になる
→反抗期がなくてももともと良い人格の人もいるし、育て方次第の問題でもある。
 よく言われるのが反抗期経験のない人は自分を抑えすぎというものだが、これも
 人や環境によります。他人への反抗心がもともとない、薄かった人もたくさんいる。
 何でも反抗すればいいというわけでもないですしね。

・結婚をしたいと思うならまず最初に、必ず恋愛を経験しなければならない
(お見合い結婚などを無視している)
→昭和中期までの日本では恋愛結婚よりむしろお見合い結婚のほうが主流であった。
 それが昭和40年代ごろから恋愛がもてはやされて、次第に恋愛結婚が主流になり、
 お見合い結婚は最近まで多くの人に忘れられる存在になってしまうという話である。
 …というようなことがネット上では最近言われるようになっています。

・社会人になっても童貞や処女は人として劣っている、幼稚だ
→これは上のことの派生版。草食系もそうだが、つまり童貞処女は恋愛経験もない人が
 多く、結婚するには幼稚で不適格だからという思い込みになってしまうということ。
 ま、童貞処女の皆さんはこんな風潮に騙されて落ち込まないように、ということか。
 とはいえ、未だに童貞処女は結婚相手対象外という人も少なくないかもしれないが。

・電車内での食事や立ち姿勢での化粧、新聞読みは何にも迷惑をかけないから良い
→若者を中心に(中年以降もか?)こういうことを平気でする人の中に、周りに迷惑を
 かけていないと思う人が多いようだが、実際には場所を広く取ってしまい、周りの人が
 狭く感じてしまったり、特に食事や化粧では匂いが広がることもあるし、何かを
 落として結果周りが汚れてしまうようなこと もあり、意外と迷惑になってしまう
 危険性が高いものです。やはり慎むのが一番でしょうか。

・ポロシャツなどの下裾はズボンの外に出すのがエチケット
→これも学生や若者の間で根付いているエセ常識の一つ。上の世代にとってはむしろ
 下裾を出すのは不格好とされます。
 こういう風潮はいつ広まったのか?について探してみたら見つかりました。
  リンク先(人力検索はてな)→http://q.hatena.ne.jp/1406420248

 これによると、裾を中に入れるのはダサイという風潮はバブル崩壊後の1990年代に
 入ってからのようです。

・いじめられる人が根暗ならその人が悪い、排除するのが良い、いじめは社会文化
 (もはやこれは論外か)
→これは論外で、上げるまでもないと思うところだが、世の中広いもので意外と本気で
 こう思う奴も結構いたりする。
 ま、詳細についてはここ→いじめ容認派の詭弁には笑った! - telgipの日記
 参照するに尽きる。

 

というように、身近によく言われるものだけでも結構たくさんあります。
また、これらとは違いますが、科学の非常識みたいネタもあって、例えば、
・人類は月に到達していない
二酸化炭素による地球温暖化はウソである
といったようなものです。
ただ、今回からしばらくは社会的なエセ常識ついて少しずつ取り上げていきます。

年末に思ったことまとめ その2

大晦日になりましたが、前回からの引き続きです。

 

・消費税増税しながら法人税の一律減税は矛盾してないか?

 消費税が8%になって半年以上経ちましたが、やはり今でも反発している人も多いですが、

個人的にはといえば、まあ社会保障の確保の目的があり、日用品などの軽率減税も実施すればそれでもいいんじゃないかなと思っています。

諸外国の多くでは軽減税率との併用でもっと高い消費税率になっていますし。

もちろん、増税にともなう景気への影響対策はきちんとすべきでしょう。

(中には軽率減税も反対などという人もいますが、消費税増税自体反対が強い中で、さすがにこんなことまで反対する場合ではないでしょう。)

 ただその一方で、代わりの景気対策と言っておきながら、法人税実効税率の一律減少はちょっといかがなものかと思ってしまいます。

それだと、せっかく消費税による税収が増えたとしても、法人税の減少により結果的に税収効果がなくなってしまう可能性が高くなります。

法人税減税の理由として、海外に移転する企業が増えているという考えもありますが、実際には法人税率ごときで海外移転したがる企業はそう多くないようです。

(企業が海外移転する理由も様々であり、またそれに伴うリスクも小さくないようです。)

 まあそういうわけで、法人税率については全体ではそのままでよく、減税するなら、特定企業を対象にするのがいいでしょう。

例えば、賃金や雇用者を積極的に増加させた企業とか、国の産業面の政策に協力している企業とか。

つまり法人税減税になると賃金が上がる考えよりも、賃金が上がれば法人税減税にするという考えがいいということです。

 いずれにしても、景気対策なら、増税減税とは別のやり方で行うのがいいと思っています。

そのための政策もすでに多くありますが、どれが良いかの検討も重要でしょう。

 

というわけで、来年も景気のためにも良い年を願っております。

 

年末で最近思ったことまとめ その1

また前回の書き込みから1年近く経ってしまいましたが、

今年も残りあとわずかということで、

特に思ったことを少しずつまとめていきます。

今日はまず一つ目だけ投入していきます。

 

・金持ちも貧乏人もお互い嫉妬している件

 最近の景気は少しずつ良くなってきているのか、まだ実感できていないのか、個人的にはまだはっきりわかっていない状態です。

アベノミクスについても効いているかで賛否がはっきり分かれているようです。

ただ、ここで一つ言いたいことは、金持ちもそうでない人も互いに嫉妬してお前が悪いとか叩き合うのは今更ながら、無駄なのでやめようということです。

貧困者や低収入者には大企業や金持ちを皆悪どくて、労働・雇用条件が良くないなどで不景気になってから叩き続けている人も多い一方で、

金持ちや経営者などの中にも、貧乏人は無能、怠惰だからああなったので自業自得だなどと決めつけて批判する人もいます。

 しかし、どちらもそんなことで批判し続けても簡単に状況は変わることはないのは当然のことで、

例えば労働者を救済するのはいくら当然でも国や企業の能力の限界もありますし、貧困者にもっと根性出して努力しろと言っても、

個人の努力ではどうしようもならないこともあるのは、今までの世の中を見て事実です。

 とにかく、他人を批判、何かを求める前に、自分が今何ができるか、どうしたら良くなるかを考えるのが最も重要なことでしょうか。

 

・・・ということで、他にも年内にまとめて投入しようと思います。

人として良いお金持ち、悪いお金持ち?

お金持ちといえば、何かとあまり良くないイメージを持っている人も多いようですが、
何も金持ちの人皆そうではなく、いい人も悪い人も千差万別いるものです。
ではそのお金持ちの良い悪いはどのように判断すればいいのでしょうか?

これ一つとっても、いろいろと答えが出てきそうですが、

僕自身が考えたものとして、わかりやすい例で言えば、

貧困者に対する態度や言動があげられます。

良いお金持ちは、貧困者を見て、何とかしてあげようとする、または

なにかしてあげたいが、何にもできない現状を知り、嘆く。

悪いお金持ちは、貧困者に対して、貧乏になった本人が悪いんだ、と批判しかしない。

傾向があるようです。

つまり、よい人は誰か、何かの為に自分から行動を起こそうと考え、

良くない人は相手や当人が悪いと批判ばかりするということです。

 

 また、同じく金持ちの経営者に関しては、過労死になった人への言動などからも

わかりやすく判断できるようです。
良心的な経営者なら、「組織や環境のどこかに問題があると思い、対策を立てなければ」

というようなことを言いますが、

そうでない経営者は「過労死した本人が問題なんだ、自業自得だ」などと
従業員を批判して責任逃れする傾向がありそうです。

 少し前に過労死や失業者問題がニュースになったとき、経営者が当人に対して

どのような発言をしたかを調べるのも、その経営者の人となりを判断する

参考となるでしょう。

 

以上、簡単なお金持ち(または企業経営者)の人格判断法でした。

・・・といっても、これは僕自身の独自見解も入ってり、

全ての金持ちがこれに当てはまるわけではないかもしれませんが。

他にも金持ちの人格判断できる要素があれば面白そうですね。

大学入試改革での面接重視化について思うこと

最近思っていることのまとめシリーズのさらに続き

昨年10月と少し前の時事ネタですが、

 

 

・政府の大学入試改革で学力より面接重視の提言について

※掲載サイトとかは多くあるので検索でお願いします。

これもずっと前から学力よりも推薦面接重視の声が叫ばれてて、
昨年秋に再び同じ要望を識者が政府にかけることで本格的に話題になりましたが、
個人的には単刀直入に言って大学入試を入社試験と同じようにすればいいわけではないし、

これには賛成できないです。
今は大学全入や少子化などの影響もあり、私立大を中心に大学生の学力が著しく低下している問題もありますし、
むしろただでさえ今よりさらに学力軽視するのは学力低下や学問理解低下をさらに進めてしまいます。
だから大学側ではむしろ推薦・面接重視の入試制度には反対の姿勢が強くなっているものです。
人間性に優れた学生ほしいと言いますが、では面接重視入試で選抜される学生の人間性とは具体的に何か、
またそれで本当に学業にふさわしい学生が選抜できるなどの問題も多くあるようです。
また、面接入試もいきすぎると、学業面で優れた学生よりも大学側にとって都合の良い人ばかり

恣意的に選ばれる可能性も高くなり、いわゆるコネ入学や裏口入学が今までより

さらに蔓延ってしまう危険性もあります。
アメリカとかでは面接重視で、というような意見もありますが、そもそも日本と外国では文化や事情なども
かなり異なりますし、何でも欧米などを制度を取り入れればいいわけではありません。
少なくとも日本では昔から学力中心の入試制度でうまく行けたわけですし、
入試改革するにしてもやはり学力重視の範囲面でいき、
代わりにペーパーテストの問題の内容・形式についてより本質的な思考・理解力が
問われるように工夫するようなことが良いのではと思いますね。

ちなみに「いつやるか、今でしょ!」で有名な林修氏も受験は学力重視志向で、

この制度には反対しているようです。